「こっちでも食べれるらしい」
「へえ、なんでもあるんだね。ジャッキーは?」
「向こうで食うって。なにが良い?」
「そっか、僕はナシチャンプルーがいいな」
「即答」
「うん、色々のせ。一緒に食べよう。虎は?何が食べたい?」
あれだけ朝ご飯を食べて特別動いたわけではないのに不思議なことにもうお腹はすいている。虎はフードメニューを眺め、「ミーゴレンとチャプチャイ」とこれまた朝食べた量を考えるとなかなかのチョイスをした。僕も数回サーフィンをしたことはあるものの、あまりうまくはならなかった。それでもそれがどれだけ体力を消耗するかを知っているし、海から帰ってきた虎の体重が2、3キロ減っているのは珍しいことではない。お腹も空くよな、とその三つに加えパイナップルとマンゴーのフレッシュジュースをオーダーした。
日陰に居ると風を感じて過ごしやすく、出てきた昼食も全て美味しかった。
旅行の醍醐味でもある食事にこれだけ満足できれば本当に言うことはなく、虎も美味しいと完食して、ジュースのをおかわりもしていた。湿っていた虎の髪はこの温度と風でもうほとんど乾いていて、揺れるたび塩のいい匂いが漂う。
「もう海はいいの?」
「いい、満足した」
「じゃあちょっと買い物して、ホテルまで行ってもらおうか」
「ん」
少し日に焼けたのか、整った横顔はじんわりと赤くなってる。もみあげから耳の後ろにかけて日焼け止めがうまく濡れていなかったのだろう。そこを指先でなぞって「赤くなってる」と笑うと、虎は切れ長の目でじっと僕を見た。欲を孕んだような、艶やかな視線。
「冷たいもの買って、冷やした方が良いかもね」
「アイス」
「溶けちゃうよ」
さらりとその指先を虎の手に触られ、ウエイターが食器を片しに来るまで少しのんびりしながら指先で触れ合うだけの時間。ジャッキーは離れたところで他のサーフ仲間と談笑していて、僕らのことはあまり気にしていないようだった。買い物に立ち寄っている間も、距離の近い僕らのことを変な目で見たりはしなかった。周りもそれは同じで、視線を感じることはなく…虎が目立つという意味以外では…それも過ごしやすさにプラスされている気がした。車とバイクの入り乱れる道路を進み、たどり着いた二日目のホテルは資料で見た通りの綺麗なヴィラだった。
重厚そうな扉にはグリーンの葉が南国らしく垂れ下がり、その奥には部屋の入り口となる玄関。広いリビングルームと寝室、そしてプライベートプール。外に面した大窓から出入りできるそのプールのある中庭は外から完全に遮断されていて人の目を気にせず入ることが出来る。それから目を見張るほど豪華なバスルームは洗面台とガラスで区切られ、そこからも外へ出ることが出来るようになっていた。楽しみにしていたのは間違いなく、けれど想像をはるかに超えた綺麗さと豪華さにこんな贅沢をしてしまっていいのかと不安が生まれた。それほどの部屋だった。
大きすぎると思っていたスーツケースを二つ、床に広げたままにしても全然邪魔にならないくらいには広い部屋で、生活に不自由することのなさそうなミニキッチンまでついている。
スパもルームサービスも充実しているうえに朝食のバイキングと併設されたレストランへの出入りは深夜一時まで自由ときた。キングサイズのベッドが一つ、おとぎ話に出てくるような白いヴェールをかぶったそれには少し恥ずかしくなったものの、自分がそこに座ってしまえば気にならないだろう。
「すごい部屋だね」
「な、」
「あとでプール入ろう」
「先に飯?」
「どっちでもいいよ、ジャッキーがこの近くで美味しいお店たくさん教えてくれたし、ここのレストランも美味しいって言ってた」
「サテ?あ、豚のやつ?」
「どっちも、食べたいね」
荷物を広げながら、けれど今でなくてもいいかとリビングのソファーに行儀悪く寝そべった僕は、大きな窓の向こうに見える青いプールを眺めた。見ているだけでも充分楽しいと言うか、元を引けた気分になる。虎は半日しっかり海に入っていたからプールの気分ではないかもしれない。そう思いながら鞄から引っ張り出した水着を顔の前に翳す。
「入るか?」
「どうしようかな」
「入れば」
「虎は入らない?」
「……足だけ」
「じゃあ僕もそうしよう」
たった今買ったばかりのビーチサンダルに足を通し、中庭に出てプールの端に腰掛ける。水は思ったよりも冷たく、ほんの僅かに日が落ちたことに気付いた。ここからでは残念ながらサンセットは見えそうにないけれど、明日はレストランを予約している。サンセットが綺麗に見える、魚介が美味しいと評判のレストランだ。雨季と乾季の境の時期だから天気が心配だけど、晴れることを願いつつ隣に座った虎に擦り寄る。
僅かに汗ばんだ腕が擦れると、どきりとその感触に心臓が跳ねた。
「気持ちいいね」
「ああ」
「やっぱりこっちは暑いから、アイスもたくさん食べれそう」
「明日食う」
「あとで調べよう。あ、ジャッキーにも教えてもらおうか」
「ん、」
「ふふ、どうしたの」
「いや、別に」
日に焼けて赤くなった虎の腕。それがやんわりと僕の腰にまわり、ぐ、っと体が密着した。誰にも見えない二人だけの空間、視線を重ねて微笑むと、虎の熱を孕んだ瞳が小さく揺れるのが分かった。オレンジ色に染まり始めた世界で、黒い髪が艶やかに光を弾いている。
ゆっくり、顔を傾けて目を伏せるとすぐに虎の顔も傾いた。キスの合図。
乾いた唇は紫外線の強さを示している気がして、けれど唇の日焼けなんてどうしようもないかと、また小さく笑いが漏れた。虎は「なに」と、感情の分からない声色で問うたけれど、僕も彼と同じように「別に」と答えることにした。
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